今仮面ライダーで戦争を描くことについて考えてみる
「仮面ライダービルド」が1つ山場を迎えている。
火星で発見されたパンドラボックスから発生したスカイウォールによって北都・東都・西都の3つに分かれた日本がビルドの世界だったが、今年の年明けからパンドラボックスをめぐって3つの都市が戦争を始めるという戦争編が始まり、現在その戦争の終結をかけた闘いが行われているところである。
平成ライダーにおいて、人間と異なる種族との戦いが描かれることはあっても同じ人間、まして壁で隔てられた同じ国民同士の戦争が描かれることは初の試みといってよく、人間同士の戦争に兵器として関わることとなってしまう桐生戦兎・仮面ライダービルドをはじめとした登場人物たちのドラマはシリアスに深まっていくこととなり、ファンの中では大いに盛り上がった。
一方で現実世界でも深刻な問題である戦争を子供向け番組の枠で描くということに対し、現実に同じ民族が国境で分けられ休戦状態という経験をしている韓国の特撮ファンからTwitter上で反対意見が上がり議論が起こるなど、その影響は予想以上に大きいものとなった。
今回はなぜビルドは戦争というテーマを描いたのか?その描写は適切だったのか?について私の考えを述べていこうと思う。
まず、なぜビルドは戦争を描いたのか?ということについて
これは①ライダーバトルの新しい展開②時代の空気感③科学というテーマの追求の3点
であると思う。
まず①のライダーバトルの新しい展開ということだが、昨今の平成ライダーはライダー同士が戦うライダーバトルは風物詩、言ってしまえばお約束といってもよい状態になっており、いかにライダーバトルを物語に組み込んでいくかは平成ライダーの見どころの1つとなっている。
ライダーバトル自体が目的だった「龍騎」、ダンスチームの場所取りから子どもと大人との対立への変化を通し、なぞが解き明かされていった「鎧武」
今回のビルドでは「仮面ライダーは戦争の兵器」という設定をとることで守ること倒すことの違いに対立するドラマ、力を持つがゆえに本人の意思に関わら闘わざるを得ず、誰も傷つけたくないのに傷つけてしまう苦悩という展開を描くことができた。
実際、戦争という現実を前にしてその発端に責任を感じる戦兎。戦兎を思う故戦争を終わらせようと戦いに突き進む万丈。戦いに突き進む万丈を止めるために禁断の装置に手を出す戦兎といった、戦兎と万丈の互いを思いやることは時に悲劇を呼び、時に胸熱くなる展開を呼ぶことに成功していた。
結果として戦争という敵味方に分かれ戦うという設定を取り込んだことで、代表戦など分かりやすい形でのライダーバトルを物語に導入できたと思う。
次に②時代の空気感であるが、平成ライダーはその作品当時の時代背景や空気を作品に反映させてきたことが作品の魅力を高めていった。
その姿勢は「ビルド」でも貫かれている。
多くの日本人、特にこのブログの対象者である30代にとって戦争のイメージは歴史で習う70年以上前の戦争のイメージが強い。
(むろん現在進行形で戦争や紛争の危機に瀕している場所はあるのだが)
だがここ数年、安保法案改正や北朝鮮のミサイル発射によるJアラート発令など日本が戦争に巻き込まれるのでは?という空気はリアリティを持ってきた。
ある意味戦争という存在が身近な危機になった今に作るライダーであるからこそ、「ビルド」は戦争を物語に取り込むことで、視聴者を引き込んでいるのではないだろうか。
そして③科学というテーマの追求である。
これについては劇中で戦兎と幻徳が代表戦の際に意見をぶつけ合っているが、科学が進んでいくことで戦争の道具として利用され、その中で科学も発展するということはフィクションでない現実世界でのリアルな側面である。
戦兎はあくまで科学の正の側面を信じ、人々の平和の日々を創るため自身の才能を発揮し、ライダーシステムを使っていた。
その1つの到達点が西都との代表戦で見せたラビットラビットフォームの登場だろう。
科学の正の面を戦兎が担うのなら、負の側面を担うのがファウストや難波重工であり、その最悪の形が戦争ということになる。
科学をテーマにしたライダーである「ビルド」だからこそ科学の負の面である戦争を逃げずに描いたのだと思う。
ここまでなぜ「ビルド」では戦争を描いてきたについて論じてきた。
ではその戦争の描き方は適切だったのだろうか?
結論から言えば私としては「あり」である。
確かに戦争に巻き込まれた市民の描写が少なかったり、戦争の結末を仮面ライダーの対決による選抜の代表戦で決められるなど、現実の戦争を考えた場合こんなもんではない。こんな都合よくいくかという部分はある。
またこのような戦争の描き方によって子どもたちが戦争に偏った印象を持ってしまうのではないかという意見もTwitter上であった。
ただ、私が思うのはこの番組は「仮面ライダービルド」であり、戦争番組でないのだ。
これまで述べてきた通り、戦争はあくまで「仮面ライダービルド」という番組を盛り上げていく為の1つの要素に過ぎない。
仮面ライダーという番組を盛り上げる、面白くするための挑戦として戦争というテーマを盛り込んであると考えているので、戦争描写が適切かどうかはそこまで作品の是非に関わらないというのが私の考えだ。
むしろ、昨今表現の規制が強まっている中で、朝9時の子供向け番組でできる描写としては要所要所で攻めた演出がされていると思う。
(廃墟で泣き叫ぶ子供や青羽を消滅させてしまったことを嗚咽まじりで謝る戦兎など)
子どもたちへの戦争への印象についてだが、「ビルド」を見た子どもたちが成長していく中で必ず現実の戦争というものを知る機会が訪れると私は考える。
それは学校での教育であったり、TVの戦争番組、ニュースなど今の日本なら戦争がどういったものか知る機会はある。
その中で戦争の現実や「ビルド」の描写のウソに気付くことだってあるだろう。
描写のウソに気付くことがあっても、「ビルド」の中に込められた戦争のリアルや製作した人たちのメッセージにも同時に気付いてくれるのではないかと私は期待している。
戦争編はクライマックスを迎えるが、物語はまだ半ばの「仮面ライダービルド」
今後物語がどう動いていくのか、期待して見届けていきたい。
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