5つの『シン』で読み解く『シン・ゴジラ』感想(ネタバレあり)
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初登場1位
シリーズ累計動員 1億人
そうそうたる記録を叩き出したゴジラシリーズ最新作にして国産ゴジラとして12年ぶりに公開された話題作。
『シン・ゴジラ』
脚本・総監督を『エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明が務め、公開前には『ゴジラVSエヴァンゲリオン』というコラボまで始動。エヴァ以外にもパルコなど多くのコラボを展開し、世間の注目を集めました。個人的も人生初のエキストラとして撮影に4度参加するなど歴代シリーズと比べて思い入れも一段とこもっておりました。その『シン・ゴジラ』がついに公開!
数多くのコラボが行われる中、肝心の内容に関しては徹底的に秘密が貫かれたシン・ゴジラ。今回はその内容と感想をタイトルにちなんで5つの『シン』で語っていこうと思います。
ここからはネタバレのオンパレードなので、未見の方は今すぐバックするか、映画見てきてください!!
・『新』ゴジラ
まず語るのは新しいゴジラとしての側面。歴代ゴジラ初の劇中内での形態変化(進化と言っていい)はとんでもない衝撃で、私も初上陸したゴジラ第2形態を見たときは開いた口がふさがらなかった。誰もがゴジラと聞いて想像し、予告映像で登場した二足歩行の直立形態
とは似ても似つかない道路を這いずりながら進む巨大生物の姿は、気持ち悪さを感じながらも、大きな目にはどことなく愛嬌を覚えた。
そして地面を張っていた第二形態から直立し第3形態となった時の衝撃は、主人公の矢口蘭堂(演長谷川博己)らと同様であった。さらに驚いたのはゴジラの代名詞ともいえる放射熱線の描写だ。顎が2つにさけるほど大きく開かれた口から膨大な炎が放出され、徐々に収束し紫のビームとなって東京のビル群を打ち抜き、米軍のB2爆撃機を撃ち落とすさまに心奪われた。(さながら巨神兵のプロトンビームである)
だが、その後背びれからも熱戦が何条もはなたれた時は度肝を抜かれた。挙句最終決戦であるヤシオリ作戦では尻尾の先からも打ち出していた。そこまでやるのかよ!突っ込みを入れたくなった。ある意味無茶苦茶な姿を見せた今回のゴジラ。もはやゴジラとは言えないんじゃないか・・・とさえ第1回目の鑑賞では思った。
だがそれは別の意味では、従来のゴジラ像に縛られないからこそ描けた描写なんだ。時間をおき、何度も鑑賞することでそのように思えてきた。
そもそもゴジラは今回のような恐怖の対象から悪い怪獣と戦うヒーローの側面を持つ多様な存在だ。多くの側面を見せてきたからこそ、62年の長きにわたりシリーズが作られ多くの人に愛されてきたのではなかったか。ならば「ゴジラとはこうあるべき」というイメージで縛ってゴジラを語ることこそナンセンスではないだろうか。『シン・ゴジラ』は62年の時を経てそれでもなお新たな一面、可能性を見せてくれる『新・ゴジラ』なのだ。
・『真・ゴジラ』
ここまでゴジラの新しい側面ばかり語ってきたが、キャラクターの多様性とはそのキャラクターを貫く軸(シン)があってこそ成り立つものだ。その軸を描くことなければキャラクターとして成立しない(98年のエメリッヒ版ゴジラが不評だったのはこの点にあったと思っている)。
では『シン・ゴジラ』はどうだったのか?
まずはゴジラを象徴する伊福部昭作曲のゴジラのテーマ。ドシラ♪ドシラ♪というおなじみの音楽は日本中、否世界中で知らぬものはいないといっても過言でない。この曲と共に登場するゴジラをファンの悲願であった。『シン・ゴジラ』はその悲願を実現!しかも品川のゴジラ第3形態登場時に初代ゴジラに使われていた音楽を流すといったこだわり。しかも伊福部昭の曲はオリジナル音源で流すというものだから舌を巻く。
そして、ゴジラの醍醐味であるミニチュア特撮も非常に迫力があった。日本産ゴジラ初のフルCGゴジラということで着ぐるみは使われていないが、住居の破壊などで迫力ある映像を見せてくれる。さらに大規模かつ精密なミニチュア特撮にハイレベルなCG映像が合成されることで、従来のゴジラ映画の醍醐味を体感されてくれる。現在の最新CGと匠の特撮技術によって我々が心待ちにしていた『真・ゴジラ』であった。
・『震・ゴジラ』
今回の『シン・ゴジラ』監督や出演キャストらも述べているが、東日本大「震」災=3.11を非常に意識した作品となっていた。ゴジラが呑川を遡上してくるシーンでは川にある多数の船が押し上げられ、橋を破壊し住宅街に川水と共に流れ込んでくる。これは明らかに3.11の津波そのものであり、多くの観客が震災後多くのメディアで流れた津波の被害を思い出したと思う。
さらにゴジラ襲撃により東京に放射能が検出された時、政府の発表よりも早くTwitterやブログなどで個人が持つ線量計で放射能の値を報告し合う描写は福島第一原発事故後の世の中の
動きそのものであった。極めつけはヤシオリ作戦で血液凝固材を経口投与されるゴジラの姿だ。大量のポンプ車によって注水されているゴジラの姿はメルトダウンした福島第一原発そのものだ(ゴジラを凍結という表現も事故を起こした原発を思わせる)。
ここまでゴジラの被害が3.11と被らされているのは3.11という現実がこれまで特撮映画で描かれてきた虚構(現実対虚構)を超えてしまったことにある。リアルな怪獣映画・・特に放射能と密接に関わるゴジラを作るにあたって3.11で起きた現実をさけることはできない。だからこそ『シン・ゴジラ』はリアリティを徹底することで正面から3.11と向き合い震災後の世界における怪獣映画を描き切った。
しかし、『シン・ゴジラ』が震災後の世界を描き切ったといえるのは単に破壊描写がリアルだったからではない。未曽有の危機に立ち向かった「人」を描いたからこそ『シン・ゴジラ』は震災を描いた『震・ゴジラ』となったのだ。
『信・ゴジラ』
先ほど『シン・ゴジラ』は人を描いていたと書いたが、この映画で描かれたのはゴジラという未曽有の危機に立ち向かった人々の物語でもある。『シン・ゴジラ』はゴジラと立ち向かう日本政府を中心とした人々の奮闘を描いている。
否、それしか描いていないとっても過言ではない。他の映画に必ずあるサブストーリーが皆無といっていい。東京湾アクアトンネル崩落事故から始まるゴジラ襲撃に対し日本が1つとなってゴジラと戦い凍結する。映画内容すべてがこの1本の流れに集約されている。
328人という空前のキャストのほとんどがそれぞれの場所でそれぞれの役割を懸命に果たす。特別な誰かがいるわけではなく、一人ひとりがたとえ見えない場所でも自分の仕事をきっちりこなす。プロフェッショナルとしてのプライドと責任感、公の為という良くも悪くも日本人的な信念が『シン・ゴジラ』における人間ドラマの真骨頂である。その在り方が世界がどう受け止めるかは分からないが、ひとりの日本人として戦後や震災後からの復興を支えてきた日本の底力であると断言できる。
その総決算がヤシオリ作戦として決行され、ゴジラを追い詰める!伊福部昭の「宇宙大戦争」をBGMに無人新幹線・在来線爆弾の突撃、無人爆撃機の特攻、高層ビル爆破による足止め、高圧ポンプ車を中心とした血液凝固剤投入部隊の一連の流れは日本人精神全開!個人的にはかなり熱くなれた劇中の言葉ではないが「この国はまだまだやれる」そんな気持ちさせてくれる。日本人の信念・強さを再認識させてくれる「信・ゴジラ」に心動かされた
・『神・ゴジラ』
最後に語るシンは神。英語名にGODが入っているゴジラ。『シン・ゴジラ』で劇中でもゴジラを発見した牧元教授によって、教授の生まれ故郷の大戸島に伝わる荒ぶる神の化身を由来にしている。特に東京を放射線流で焼き払う場面は、荒ぶる神の天罰を食らったような絶望感に襲われた。自衛隊の攻撃が全く効かなかったり、進化の果てに死さえ克服したと予想され凍結という手段でしかゴジラを鎮めることしかできなったように、まさに人間が処理できる領域を超えた存在としてゴジラは描かれる。
徹底的な破壊をもたらす一方で、ゴジラは水や空気から必要な元素を生み出すという驚くべき能力を持っていることが解明され、人類に無限の可能性を示す。さらにゴジラの放つ放射性元素は半減期が20日程で2,3年でほとんど問題なく、東京の除染に希望が持てることが言及されている。
このようにゴジラは破壊だけでなく再生や可能性を示唆していることが分かる。核の力をもてあそぶ人類に鉄槌を下しつつも、鉄槌による災厄に人間同士の結びつき・信頼で立ち向かい克服させることでもう一度やり直すきっかけを与えてくれる。
スクラップアンドビルドによる成長。未来がどうなるかは我々人類がどうするかによってまさに「好きにすること」で決まる。ゴジラとは我々の罪を罰し、我々を試すことで我々に可能性を示してくれる『神・ゴジラ』として描かれていたのだ。
以上5つのシンという点から『シン・ゴジラ』を語ってきた。これを読んだあなたはどんな『シン』を思い浮かべただろうか?
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